PROFILE

室屋 義秀

室屋 義秀(むろや よしひで)

エアレース・パイロット/エアロバティック・パイロット

1973年1月27日生まれ

1991年、18歳でグライダー飛行訓練を開始。
2009年、3次元モータースポーツシリーズ、レッドブル・エアレース
ワールドチャンピオンシップに初のアジア人パイロットとして参戦し、2016年、千葉大会で初優勝。翌2017年、ワールドシリーズ全8戦中4大会を制し、アジア人初の年間総合優勝を果たす。
国内では航空スポーツ振興のために、地上と大空を結ぶ架け橋となるべく全国で活動中。
地元福島の復興支援活動や子どもプロジェクトにも積極的に参画している。
福島県県民栄誉賞、ふくしまスポーツアンバサダー、福島市民栄誉賞など多数受賞。

BIOGRAPHY

はじまりは、空想世界への憧れから。

幼少の頃テレビアニメでみた「機動戦士ガンダム」。その主人公アムロ・レイに憧れてパイロットへの道を歩みだす。共通点は「ムロ」。もしかしたら親戚?、自分もニュータイプ?などと思いながらガンダム搭乗を夢見る。その頃旅客機のコクピットを見学させてもらった事をきっかけに、ガンダムと飛行機のコクピットが融合しパイロットを目指す事となる。
幼少期は木登りをして飛ぶ(落ちる)、自転車に羽をつけて飛ぶ(落ちる)などの独創的な訓練?を積み重ねる。 中学生時代は、サッカーに熱中していたが、空への意識が再燃。
1991年、大学生でグライダー部へ入部。18歳から本格的な飛行訓練を開始。グライダーでパイロット訓練に入った。
20歳で飛行機操縦免許を取得するため単身アメリカへ渡る。飛行機のライセンスを取得するとともに、アメリカの航空産業の規模の違いに驚愕しその後のパイロット人生に大きな影響を与えた。その後アルバイトで資金が調達できると1年のうち2カ月はアメリカへ渡り訓練を積み重ねた。同時期に国内ではグライダーでの飛行訓練に励み、オーストラリアで長距離飛行技術を学ぶなどして、国内競技会では好成績をおさめた。

1995 age.22

目標を「操縦技術世界一」のパイロットに。

目標を「操縦技術世界一」のパイロットに。

但馬空港で開催されたブライトリングワールドカップ。この大会で「ユルギス・カイリス」や「パトリック・パリス」が魅せた世界最高峰のエアロバティックス飛行に衝撃を受ける。目標を「操縦技術世界一」パイロットに定め、本格的エアロバティックパイロットへの道を歩き始める。国内でグライダー教官として飛行技術を磨くかたわら、訓練資金調達に2年を費やした。

1997 age.24

初の競技会(スポーツマンクラス)参戦。

初の競技会(スポーツマンクラス)参戦。

2月に再渡米し世界有数のエアロバティックス教官「ランディー・ガニエ」に師事し本格的訓練を開始した。このランディー教官により素質を磨きあげられ、その技術を飛躍的に向上させる。6月には一か月にもおよぶ厳しいトレーニングキャンプを経て、初の競技会(スポーツマンクラス)参戦を果たした後、7月にはアドバンスクラス世界選手権に日本代表チームの一員として参加するまでに成長した。

1998 age.25

国内でエアショー活動開始。

国内でエアショー活動開始。

国内でのエアショー活動を開始し徐々にその活動は知られるものとなる。
ただし、日本における航空スポーツへの理解は、世界と比べて低く、決して順風満帆の船出とは行かなかった。日々の資金を工面することで精一杯の日々が続いた。

2002 age.29

競技志向型エアショーチーム「TEAM DEEPBLUES」始動

競技志向型エアショーチーム「TEAM DEEPBLUES」始動

本格的に世界レベルでのフライトを目指し、競技志向型エアショーチーム「Team deepblues」をスホーイ26の導入とともに旗揚げし活動を開始する。設立後まもなく資金難に陥り解散の危機にあったが、生活創庫・堀之内九一郎氏の無償支援により、チームは活動を開始した。

2003 age.30

アンリミテッドクラス世界選手権へ初挑戦

アンリミテッドクラス世界選手権へ初挑戦

アンリミテッドクラス世界選手権へ初挑戦する。右も左も分らぬまま臨んだこの大会で、プロフェッショナルが集まるアンリミテッドクラスの下位クラスとはケタ違いのレベルを痛感した。しかし同時にトップパイロットとの交流も持つ事が出来るようにんなったのが最大の収穫であった。国内ではチームに「ロバート・フライ」が加わり“スーパーデカスロン”を使用しての、フォーメーションエアショーも開始した。
ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤をつくる。 国内でグライダー教官として飛行技術を磨くかたわら、訓練資金調達に2年を費やした。

2004 age.31

エアバンディッツ始動

エアバンディッツ始動

本格的なフォーメーションフライトを、ロバート・フライの操るスホーイ29と開始。
スホーイ二機でのエアショーを積み重ね、秋にはスパーバイザーを務めていた帝王「ユルギス・カイリス」との三機フォーメーションチーム「エアバンデッツ」を結成。福島及び都城でフライトを実施し喝采をあびる。

2005 age.32

運命のプロジェクト

「POCARI SWEAT」スカイタイピングのプロジェクトを手掛ける。エアショー活動と並行して、航空啓蒙活動を本格化し絶大な反響を得る。自らも影響を受けたキャンペーンを手掛ける事に強い運命を感じる事となる。この年、結婚。

2006 age.33

活動の場は世界へ

活動の場は世界へ

アラブ首長国連邦・アルアインエアショーに参加。ついにチームは国内を飛び出しその世界を海外へ広げる。国内エアショーも含め約20か所でフライトを実施。10月には、レッドブルエアレースパイロット「ピーター・ベゼネイ」のフライトイベントのコーディネーションを手掛ける。この際にピーター・ベゼネイにパイロットとしての素質を評価された。
ふくしまスカイパークにおいては、NPOふくしま飛行協会が指定管理者制度のもと飛行場管理者となり、空港活性化活動を開始。

2007 age.34

エクストラ始動

エクストラ始動

レッドブルとスポンサーシップ契約を結び、新型機エクストラ300Sを導入する。
2006年まで使用していたスホーイ26は、スペインにあるレッドブルトレーニング施設に移動しトレーニングを続ける。6月にはアンリミテッド世界選手権に参戦。
海外エアショーも本格化し、アラブ首長国連邦・オーストラリア・南アフリカ・ニュージーランドなどでフライトを実施。11月、FAIワールドグランプリ「オートボルテージュ」に初参戦。世界のトップパイロットから選ばれる8名のソロパイロット選手としてノミネートされた。国内でグライダー教官として飛行技術を磨くかたわら、訓練資金調達に2年を費やした。

2008 age.35

トレーニングの日々

トレーニングの日々

レッドブルエアレース参戦を目指した本格的なトレーニングがレッドブル主催でスタート。7か月間で8回のトレーニングキャンプを実施。7月にチェコで開催されたヨーロッパ選手権に参戦。運命的なコーチは、1995年に大きな影響を受けたブライトリングワールドカップ優勝者のパトリック・パリスであった。

9月スペインにて開催された「レッドブル・クオリフィケーションキャンプ」にて、エアレース参戦に必要なスーパーライセンスを取得。

11月、FAIワールドグランプリ「オートボルテージュ」に参戦。パブリックアワードで一位を獲得する。11月15日、2009年のレッドブルエアレース参戦が正式に発表された。

2009 age.36

レッドブルエアレース初参戦

レッドブルエアレース初参戦

レッドブル・エアレース初参戦 レッドブルエアレース・ワールドチャンピオンシップに日本人初、そしてアジアから初参戦。チームコーディネーターに盟友ロバート・フライがあたる。前半戦をレースフライトの慣熟訓練に焦点をあてた作戦が功を奏し、後半戦から徐々に頭角を現す。最終戦スペイン/バルセロナ大会では、6位に入賞し高い評価を受ける。

国内でのエアショー活動も増え、エアレースを含めて28か所でのフライトを実施。また国内初の曲技飛行競技会を試行し、エアロバティックスそして航空スポーツの安全追求、底辺拡大啓蒙活動を本格的に開始。
12月、国内の最も活躍した冒険家・挑戦者などに贈られる、Faust A.G. Award 2009で「挑戦者賞」を受賞。冬季オフシーズンも、チームメイト:ロバート・フライのホームベースである、ニュージーランドでレース機の改造・訓練などに加え、エアショー活動も精力的に実施。

2010 age.37

国内初の公式大会 第一回全日本曲技飛行競技会開催

国内初の公式大会 第一回全日本曲技飛行競技会開催

前年に引き続きレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2010に参戦。また、国内では初めてとなる「第一回全日本曲技飛行競技会」を開催し事務局を務める。

2011年(38歳)FOR FUKUSHIMA

3月11日に起きた東日本大震災により、ホームベースであるふくしまスカイパークも滑走路に亀裂が入るなどの被害を受ける。震災後3カ月はヘリコプターによる緊急支援活動を最優先に取り組み、目指していた世界選手権参戦も一旦白紙に。 そんな中、5月にはあづま運動総合公園に避難している子ども達を招待し「GW特別行事・少年少女航空教室」を開催、エアショーを披露。徐々に活動を再開し、9月には困難かと思われた世界選手権へも多く支援を受け参戦。10月、第2回全日本曲技飛行競技会開催。公認事務局、安全委員長を務める。

2011 age.38

FOR FUKUSHIMA

FOR FUKUSHIMA

3月11日に起きた東日本大震災により、ホームベースであるふくしまスカイパークも滑走路に亀裂が入るなどの被害を受ける。震災後3カ月はヘリコプターによる緊急支援活動を最優先に取り組み、目指していた世界選手権参戦も一旦白紙に。 そんな中、5月にはあづま運動総合公園に避難している子ども達を招待し「GW特別行事・少年少女航空教室」を開催、エアショーを披露。徐々に活動を再開し、9月には困難かと思われた世界選手権へも多く支援を受け参戦。10月、第2回全日本曲技飛行競技会開催。公認事務局、安全委員長を務める。
ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤をつくる。 国内でグライダー教官として飛行技術を磨くかたわら、訓練資金調達に2年を費やした。

2012 age.39

世界曲技飛行選手権・日本チーム結成に向けて

世界曲技飛行選手権・日本チーム結成に向けて

元世界チャンピオンであり、世界屈指の名コーチでもあるパトリック・パリスを福島に迎え、4月、5月の2回にわたり、国内で初めてEDGE540を使用し世界選手権参戦に向けたトレーニングキャンプを実施。
8月にスロバキアで開かれたアドバンス世界曲技飛行選手権に、もう1名の選手とともに参戦。日本チームが結成できる3名体制での参戦は叶わなかったが、将来の「日本チーム」結成に向けて大きく前進した。9月にはヨーロッパ選手権にも参戦。同年、福島をPRする福島県の「あったか観光交流大使」に就任。

2013 age.40

世界曲技飛行選手権 フリースタイル入賞

世界曲技飛行選手権 フリースタイル入賞

2012年からの訓練を継続し、10月の世界選手権に向けて大会開催地のアメリカにて8回のトレーニングキャンプを精力的にこなす。フリースタイル部門で初の6位入賞を果たす。6月には、レッドブルエアレース再開に向けたクオリフィケーションキャンプにも参加。各種試験に合格しスーパーラインセンスを再取得。ブライトリング社ともスポンサー契約を結び、複座型Extra300Lが導入される。

2014 age.41

レッドブルエアレース再開

レッドブルエアレース再開

三年間の休止期間を経て、ついにレッドブルエアレースが再開。休止期間の集中トレーニングが功を奏し、第二戦クロアチア戦で、自身初の3位表彰台を獲得。年間を通してコンスタントに戦い、総合9位でシーズンを終える。地元福島では、多くの復興支援イベントでフライトを披露。

2015 age.42

初の母国戦・スカイスポーツプロジェクト始動

初の母国戦・スカイスポーツプロジェクト始動

5月にレッドブル・エアレース日本初開催。初の母国戦の舞台となった千葉市・幕張海浜公園に詰めかけた12万人の観衆を前に、トラックレコードを記録。8月のアスコット戦、9月のフォートワース戦で2回の3位入賞を果たし、年間総合成績も自己最高の6位で2015年シーズンを終える。
LEXUSともスポンサー契約を結び、Extra330SCを導入。レースの合間も精力的に全国各地を飛び回り、エアショーを実施。9月には子どもを対象としたスカイスポーツ・プロジェクト「福島の輝く未来へ!スポーツわくわくプロジェクト~大空に羽ばたけ!スカイスポーツ教室~(主催:福島県・文化スポーツ局)」に講師として参加。子どもたちに向けたスカイスポーツ長期プロジェクトを本格始動。 福島市の魅力を国内外に発信する「福島市・ももりん大使」に就任。

2016 age.43

大舞台で表彰台の頂点へ。母国戦で初優勝

大舞台で表彰台の頂点へ。母国戦で初優勝

6月、2年目となるレッドブル・エアレース 千葉大会。5万人を超える観衆の前で、悲願の初優勝を遂げる。シリーズ全戦においてもコンスタントにポイントを重ね、年間総合ランキングも6位に。
国内ではスカイスポーツ発展へ向けた継続的プロジェクトに加え、国産レース機開発プロジェクトにも着手。次世代に向けた日本の航空・宇宙活動へ新たな動きを始めた。

福島県スポーツ振興と地域活性化の一翼を担う事を目的とした「ふくしまスポーツアンバサダー」に就任。一般財団法人 日本航空協会「空の夢賞」受賞。

2017 age.44

悲願のワールドチャンピオンタイトル獲得 悲願のワールドチャンピオンタイトル獲得

悲願のワールドチャンピオンタイトル獲得

5月にサンディエゴで行われた第2戦、6月に千葉で行われた第3戦で連続優勝。千葉大会は2016年に続き母国戦2連覇を果たす。
その後も第7戦ラウジッツ大会、第8戦インディアナポリス大会で連続優勝し、悲願のワールドチャンピオンタイトルを獲得。モータースポーツのトップカテゴリーでの年間総合優勝はアジア人初の快挙でもある。

レース参戦の合間を縫って、国内では引き続きエアショーや子ども向けの航空教室を行うなど、「航空」に興味をもってもらうための活動にも尽力。

「VISION 2025」を掲げ、未来の航空立国・日本の航空宇宙産業を担う人材育成を目的としたプロジェクトを計画。

2018 age.45

次世代に向けてのスタートライン

次世代に向けてのスタートライン

レッドブル・エアレースは、2回の表彰台獲得など、上位での戦いを繰り広げ、年間総合ランキングも5位でシーズンを終える。

国内では、新たな活動拠点となる新社屋「ハンガー1」が、ふくしまスカイパーク内に完成。「VISION 2025」プロジェクトへ向けて大きな一歩を踏み出した。

2019 age.46

ひとつのストーリーの終焉。新たなストーリーの始まり。 ひとつのストーリーの終焉。新たなストーリーの始まり。

ひとつのストーリーの終焉。新たなストーリーの始まり。

シリーズ終了が告げられ、最終戦となったレッドブル・エアレース 千葉大会。ラウンド14で敗退するも敗者復活から劇的な優勝を遂げる。シーズン4戦中3勝の成績を残し、年間総合ランキング2位でシリーズを終えた。

国内では、「ハンガー1」にて、航空から未来を考える教室「空ラボ」を開講。特別講師として子供たちに未来の描き方を伝える。人材育成プロジェクトを本格的に始動。

“操縦技術世界一”へ、変わらぬ“想い”を胸に、次なるストーリーへ向けて、歩みを進めていく。

現在まで21年間、250箇所以上でエアショーを披露。無事故。