映画「紅の豚 」に強く影響され、飛行機野郎を目指し、20歳で飛行機操縦免許を取得するため単身アメリカへ渡る。飛行機のライセンスを取得するとともに、アメリカの航空産業の規模の違いに驚愕しその後のパイロット人生に大きな影響を与えた。
その後アルバイトで資金が調達できると1年のうち2カ月はアメリカへ渡り訓練を積み重ねた。
映画「紅の豚 」に強く影響され、飛行機野郎を目指し、20歳で飛行機操縦免許を取得するため単身アメリカへ渡る。飛行機のライセンスを取得するとともに、アメリカの航空産業の規模の違いに驚愕しその後のパイロット人生に大きな影響を与えた。
その後アルバイトで資金が調達できると1年のうち2カ月はアメリカへ渡り訓練を積み重ねた。
但馬空港で開催されたブライトリングワールドカップ 。この大会で「ユルギス・カイリス」や「パトリック・パリス 」が魅せた世界最高峰のエアロバティックス飛行に衝撃を受ける。 目標を「操縦技術世界一」パイロットに定め、本格的エアロバティックスパイロットへの道を歩き始める。
国内でグライダー教官として飛行技術を磨くかたわら、訓練資金調達に2年を費やした。
12月、国内の最も活躍した冒険家・挑戦者などに贈られる、Faust A.G. Award 2009 で「挑戦者賞」を受賞。
冬季オフシーズンは、チームメイト:ロバート・フライのホームベースである、ニュージーランドでレース機の改造・訓練、そしてエアショー活動を本格化させている。
第三子誕生。
現在まで12年間で160か所のエアショー実績。無事故。
最先端技術の象徴である航空産業。その究極の舞台で、日本の優れた技術そしてパイロットが存在する事を示し、「日本の力」を磨きあげる事を目指している。
そして、自らを地上と大空を結ぶ架け橋とするべく、スカイスポーツの普及活動に取り組んでいる。